(その1の続き)
その1はこちら。
本議論を進めていく上で、まず第一に、動くことは本当に、「課された労働」なのだろうか、という観点があります。
これから先、人類が「植物化」していったときに、果たして「動く」という行為そのものがなくなるのか、なくならないのか。
動くことが「人類に課された労働」であるならば、いずれなくなるかもしれませんが、
希望的観測も含めて言えば、恐らく、無くならないでしょう。
なぜなら、動くという行為は、「自ら好んで」行う時もあるからです。
もちろん幸せの基準なんてものは時代によって変化していくわけで、もしかしたら数百年後、「生まれてから死ぬまで一歩も動かないことこそが最大の幸せである」なんて価値観も生まれているかもしれませんが、少なくとも私が生きている内にはそうはならないのでは、と思っています。
では、現代社会において、「人間が自ら好んで動く時」とはどんな時なんでしょうか。
パッと思いつくのは、旅行とか、推しのライブとか、いわゆる「生の体験」「生の感動」。
さらには、その場によって得られる「リアルなつながり」など。
こういったものの価値が近年ではフォーカスされているように思います。
例えば和太鼓のライブなんていうのはなかなか映像では伝わりづらく、音響や振動、さらには演者の汗と情熱がが伝わる「ライブ」の方が圧倒的に良く、今の時代の価値に適しているわけであります。
いわゆる、物質的価値よりも情緒的価値の方が重宝される時代、ということですね。
ところで話が変わりますが、先日docomo社さんの「Feel Tech」というサービスに触れる機会がありました。
こちらのサービス、なんと、味覚や痛覚、触覚など、これまでの映像媒体では伝えることができなかった、人間の感覚を伝えることができる、というとてつもない未来技術が組み込まれたものなんですね。
お試しで太鼓の映像と振動を媒体に記憶してもらい、映像を見ながら振動を再現する、という実験を行ったんですが、その出来栄えは何とも素晴らしいもので、普通にライブ映像を見るのとは比べ物にならないほどの臨場感を再現することができたのでした。
Feel Techのようなサービスは今後、エンタメのジャンルではもちろんですが、その他にも、観光文脈(地域の”空気”を別の場所で再現する)、医療・福祉文脈など、様々なシーンで活用されていくことと思います。
そしてそれと同時に、この10年程度もてはやされてきた「情緒的価値」というものが、今後価値ではなくなるかもしれない、とも思いました。
私が社会人になったころから、「物欲」の時代は終わった、いまは「心の価値」である、みたいなことが広告業界でもよく言われてきましたし、そういった「生の感動を求める需要」はなくならない、と言われてきましたが、実はそんなことはなくて、バーチャル空間をよりリアルに体感するためのテクノロジーは、もはやリアルとバーチャルの境目が分からなくなるほど進歩してきているのではないか、と思います。
つまり、ますます人類は、「植物化」の方向へ進んでいる、ということです。
繰り返しになりますが、私はその方向性を否定したいとか、人類の進む先に対してこの場で議論したいわけではありません。というよりも、どうやっても人類は「植物化」の方向に進んでいくんだと思います。なぜなら、それが本能であり、究極の夢だからです。
さて、本題に戻ります。
物質的欲求も情緒的欲求も動かずして得られるようになった先に、人類は「一歩も動かなくなる」のか。
もう少し簡潔に言うと、テクノロジーで絶対に代替できない、人類が永遠に求めるリアルな価値(=人類が動かないと手に入れられないもの)って、この世に存在しているんでしょうか。
そこで私が着目しているのが、「花」という機能です。
(その3に続く) ※不定期更新
