和太鼓というものは時代によって姿形を変えてきた。
その中でも、一番最初に確認されている和太鼓の用途。
それは神具としての利用だ。
神様に祈りを伝える手段して使われた和太鼓。
なるほど。納得感はある。
遠鳴りする和太鼓の音はいかにも天まで届きそうだ。
いや、天まで音を届かせるために、
和太鼓というものが生み出されたのかもしれない。
きっと人の肉声では天まで届かないと思った誰かが、
必死の祈りが報われなかった誰かが、
天まで祈りを届けるために、
より大きな音が出る和太鼓を開発したのだとしたら、
それはとてもドラマチックだ…と、遙か過去に胸を馳せる。
結局のところ、
誰がどういった意図で和太鼓を生み出したのかはわからない。
そこには劇的で壮大な逸話があったかもしれないし…なかったかもしれない。
しかし、肉声では届かないメッセージが、
和太鼓なら届くのではないか、という思いが、
私にはあった。
和太鼓はとても丈夫な打楽器だ。
私の知る限り、和太鼓より丈夫な打楽器はない。
丈夫という事は許容できる力の上限が高いということ。
つまり、大きな木の棒を持った大人が、
本気で殴りつけても、和太鼓はそれを受け止めてくれるという事だ。
だからこそ、人間は和太鼓に甘えて、そこに大きな感情をぶつける事が出来る。
そしてそこに大きな表現の力が生まれると、私は思う。
あとはその力にどんなメッセージをのせるか、だ。
そこが難しい。
熱さ、楽しさ、雄大さ、緊張感、といった抽象的な表現は可能だが、
具体的で緻密なメッセージとなると、和太鼓でそれを表現するのは難しい。
私は和太鼓でもっと多様なメッセージを発信したいと思い、
人間社会が作りあげた最も具体的で緻密なメッセージツールを利用する事にした。
それが言葉だ。
緻密なコントロールの効く言葉と、
和太鼓の爆発力。
これを組み合わせれば、
最強の表現が可能になるのではないか?
こうして生まれたのが、
和太鼓と劇(台詞)を組み合わせた、鼓劇だった。
塩見 岳大
