その1、その2、その3はこちら
さて、「変化を慈しむ心」というテーマで、四季、闇、といくつかの切り口から見てきました。
本稿を閉じる前に、もう一つ触れておきたいテーマがあります。
それは、「死」についてです。(厳密には、「死生観」ですが)
「死」は人類にとって永遠の「避けたいけど避けられないもの」であり、言ってしまえば、人生における最大の「変化」だと思うんですね。もちろん、マイナスな意味で。
どの時代、どの人種にとっても畏怖の対象であり、それでいて(現代の医学では)避けることのできない、まさに究極の「不便さ・変化」なのであります。
もちろんこれまでも人類史において、その絶対不可避な「死」というものに対してすらも、「環境そのものを変えてしまおう(=文明的アプローチ。前項参照)」とチャレンジしてきたい人はいます。いわゆる「不老不死の夢」ですね。
前項では地球環境の変化(四季や環境問題)にフォーカスを当ててきましたが、一個人で見ると、「老い」や「死」というものが、絶対的に避けられない不便さとして存在しているわけです。
しかしこの、不便さの象徴(不便、という言葉を使うと語弊があるかもしれませんが)である「死」に対してすら、日本人は独特のアプローチをしてきたんですね。
それが「切腹」という文化です。
(文化、というと語弊があるかもしれませんね。行為、といった方がよいでしょうか。)
切腹の中心にあった思想が何なのか、については私もまだまだ勉強中ですが(忠義なのか、名誉なのか、恥なのか)、そこには確かに、「死」という人間にとって究極的な畏怖の対象であり、避けられない変化に対して「美」を持って対抗する(否、受け入れる)という、とてつもない価値転換が起きているわけです。
何かの本で読んだ一説では(タイトルを忘れましたが・・・)、江戸時代、切腹がブームになってしまい、切腹を禁じる法度まで作られたことがあるとか。
もちろん切腹についてはいろいろな意見もあると思いますし、この封建的な制度や儀式、さらには忠義、名誉のための自己犠牲という考え方が、太平洋戦争はじめ、その後の日本社会においてマイナスに働いたこともあるかと思います。
ですので、それを一概に礼讃できるものではないかもしれませんが、一方で、この「避けられない環境変化」に対して、恐怖の念を持っておびえ続けるのではなく、そこに「美」を見出して積極的に受け入れる、という考え方そのものにはとてつもない強さと価値があり、現代社会の様々な問題を解決する上での糸口になるのではないか、と思うのであります。
「死」すらも美に変えることができる日本の文化の力をもってすれば、この先人類が直面する様々な社会課題に対しても、「美」を持って対抗(受け入れ)ができるのではないか、ということですね。
そんなことを念頭に置きながら、「変化を慈しむ心」の最終稿を綴っていきたいと思います。
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