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では、なぜ日本において、四季をはじめとした「変化を慈しむ心」が育ったのでしょう。
大前提として、幸福感を得るための文化的アプローチと文明的アプローチの違いは、「外部環境の捉え方」にあります。
前者は「外部環境は変えられないもの」として、自身の捉え方、心の内を変える。
後者は「外部環境は変えられるもの」として、環境そのものを変える。
そういった違いがあります。
無論、「変化を慈しむ心」というのは「外部環境は変えられない」という前提に立っているわけですが、なぜ日本人は「外部環境そのものを変えてしまおう」と思わなかったのか。
ここに、「災害」が影響しているんじゃないかと思うんですね。
「災害大国日本」は太古の昔から、地震、洪水、津波、噴火、ありとあらゆる災害を体験してきました。
それは人類の力でどうにかなるもの、どうにかできるものではなく、「諦め」があったと思うんですね。
この偉大な自然環境の前では、人類は為す術がない、という諦めです。
しかし、諦めるだけなら簡単です。
文化的アプローチの素晴らしいところは、そんな諦めの中で、「環境そのものに美を見出そう」と、心の捉え方を転換したところにあります。
夏の暑さを、冬の寒さを、夜の暗さを、時には自然の猛威を、「美しいもの」として価値転換した。
一見するとただの不便でしかない環境そのものに美を見出し、それこそが人生である、いう感性を育んだわけですね。
これがいわゆる、諸行無常とか、もののあはれとか、そういった感性なのでしょう。
こうした感性に富んだ古典作品を見るにつけ、その背後にある「自然への諦め」や「苦しみ」、そしてそれを乗り越えようと、人生の苦しみや儚さそのものを「美」に転換した先祖の強さに、私は感動を禁じ得ません。
昨今、地震に水害、噴火など、人類の生存そのものを脅かす大災害のリスクが高まっています。
令和8年の夏だけでも、熊本県の大地震、千葉県・石川県の水害、そしてネパールでは痛ましい洪水がありました。
被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
自然の猛威をなくすことはできないですし、やはり、人間が自然環境そのものを変える(=災害のない世界をつくる)ことは不可能なんですね。
もちろん、被害を少なくするための努力は必要です。地震の面では、耐震性のある住宅の開発により、以前に比べたら大きく被害が軽減されました。阪神・淡路大震災では住宅の倒壊が大きな被害をもたらしましたが、現代では耐震性の高い住宅が開発され、震度6の地震でも家が崩れることは少ないとされ、「在宅避難」が推奨されています。
その他、地震・水害に役立つ様々な防災グッズも発明され、まさにこれらは、人類が生き延びるための「文明の力」といえるでしょう。
しかし、それだけでは十分ではありません。そもそもの根底に、人間がこの先「自然環境とどう向き合っていくのか」が問われる時代になってきています。
そしてそこには、一定の「謙虚さ」が必要なのではないか、と私は考えています。
特に、災害大国日本で暮らす以上、生活において災害自体を0にすることはできません。
文明の力を活用し十分な備えをした上で、そもそも、自然環境とどう向き合っていくか。我々の心の内をどう変化させれば、自然環境とうまく向き合うことができるか。
日本が育んできた様々な「文化的アプローチ」に、そのヒントが隠されているように思います。
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